子のイラストバックナンバー

2018.11.02

わが子を
学びに前向きな人間にするために
その2


 前回は、お子さんが小学校低~中学年のうちに、ぜひ保護者に心がけていただきたいことについてお伝えしました。それは、勉強に対する“快”の感情、プラスのイメージをもった子どもに育てるということでした。

 勉強とは楽しいもの、自分にとって必要なものという観念は、生涯の学びの姿勢を決定づけます。たとえば、勉強をよい成績をあげるためにするもの、受験合格のためにするものという観点から、子どものがんばりを求める保護者のもとでは、子どもは勉強を何かを達成するための手段として受け止める傾向が強くなりがちです。いっぽう、勉強を新たな発見の機会を与えてくれるもの、謎を解き明かすことの楽しみを味わわせてくれるものといった受け止めかたをするよう保護者が働きかけたなら、「学びを通して得られる喜び」のもつ大きな価値について教えることになるでしょう。これこそが、勉強の本来の目的なのです。勉強とは、本来何かを達成するための手段などではないのですね。

  学ぶことに“快”の感情をもつことは、脳の健全な発達にとっても重要なことだと言われています。そこで今回は、脳科学の専門家の著書の一部をご紹介しながらそのことを確認してみようと思います。

 東京大学大学院薬学系研究科准教授の池谷裕二先生は、海馬の研究家として知られる存在です。この先生の著書に、学びによい感情を伴わせることの重要性について触れられた箇所がありました。右下の図をご覧ください。

 この図は大脳辺縁系という最も古い脳部位にある海馬と偏桃体の断面を切り取った様子を描写したものです。

 ご存知かと思いますが、海馬は体験や学習によって脳内に入力された新規の情報が必要か不要かを判断し、必要と判断した情報を長期記憶に加工する仕事をしています。それに隣接する偏桃体は“快”“不快”(好き嫌い)の感情を扱っています。
 両者は近接した場所にありますが、実際のところかなり密に情報のやり取りをしており、学習体験がよい感情を提供してくれたなら、海馬はその体験で得た情報を長期記憶に加工しようとします。つまり、「好きなことならよく覚えている」とか、「興味をもって取り組んだことは、楽しいと感じるし、記憶にもよく残るのです。「好きこそものの上手なれ」という諺がありますが、上記の内容は考えてみれば当たり前のように思えてきますね。

 このことは、「勉強を楽しいと思って取り組むほうが、テスト対策のためという受動的な理由で勉強するよりも成果があがる」ということを意味するでしょう。逆に、大人からの命令や圧力で勉強すると、子どもに無用のストレスがかかり、成果があがらないだけでなく、心身の健全な発達にとってマイナスに作用することもあるでしょう。

 今回の話題に基づく私の見解をまとめてみましょう。興味をもち、好きになり、やり遂げたときの喜びを享受する。この一連の学びのプロセスと連動して、海馬の記憶機能が活性化し、「この情報は大切だから覚えておこう」と指令を発します。こういう流れをうまく築けば、子どもの知的能力の開発は全く違ってくることがわかりました。大人が我慢しきれず、無理やり手を下して子どもに勉強させると、こういった脳の働きの連携や好循環は生じません。目先のテスト成績と引き換えに、生涯にわたる莫大な伸びしろの芽を摘み取ってしまいます。せめて、玉井式の教室にご縁をいただいたご家庭においては、こういうことがないようにしたいものだとつくづく思ったしだいです。

 もちろん、勉強という行為は丸ごと楽しいわけではありませんし、「好きでたまらない」などという子どもはいません。興味をもち始めてから、解決したり発見したりする喜びを味わうまでには、苦痛や辛抱が伴うものです。これらを乗り越えることによって得られるもののすばらしさを知っているか否かで、「勉強って楽しい!」と笑顔で語れる子どもになれるかどうかが決まるのです。

 玉井式の講座には、子どもたちにそういった体験を提供できるコンテンツがふんだんにあります。そして、子どもの真の成長を応援する指導担当者がいます。力を合わせて、社会に貢献できる頭脳の持ち主をたくさん世に送り出したいものですね。

H.S

2018.11.09

勉強に“不快”の感情が
染みつく前に


 前回は、お子さんが小学校低~中学年のうちに、ぜひ保護者に心がけていただきたいことについてお伝えしました。それは、勉強に対する“快”の感情、プラスのイメージをもった子どもに育てるということでした。

 実際にやってみたら痛感されると思いますが、勉強への取り組みで子どもに快の感情を味わわせるのは容易いことではありません。それも当然と言えば当然です。私たち大人自身が我が身を顧みても、「勉強が好き!」とか「勉強は楽しいもの」といった感情をもっているかというと、大概の人は「NO」とお答えになるのではないでしょうか。

 勉強という熟語は、「勉める」と「強いる」の組み合わせからなることを考えても、「必要ゆえに敢えて自らに課すもの」と古くから認識されていたことが伺えますね。「何だ、やっぱり勉強って楽しいものじゃないんだ」と思われたでしょうか。

 私は次のように思います。「低学年児童期までの勉強は、子どもに無理強いしてやらせるのではなく、興味をもたせ、考えさせ、気づきを得たり解決に至ったりしたときの快感や喜びをたくさん味わわせることが肝要だ」と。以前も書きましたが、小学校低学年までの子どもは、もともと「これは勉強か、それとも遊びか」という区別の観念は存在しません。おもしろそうなら何にだって興味を示します。そうして、知りたいという感情が高ぶってきたなら、我知らず夢中になって考え始めます。このような体験を繰り返せば、どのお子さんも勉強に快の感情を宿すことができるのです。

 ところが、多くの親は「勉強、ちゃんとやったの?」「全然やっていないじゃない。こんなんじゃ、落ちこぼれになってしまうよ」「早くやりなさい!」などと、子どもを叱ったり揺さぶったりしがちです。これも、「ちゃんと勉強のできる子になってほしい」という願いから来ることではありますが、まず間違いなく逆効果を招くことになります。すなわち、「遊びは好き!勉強は(大)嫌い!!」という、通り相場の観念を宿した子どもにしてしまうのです。何しろ、遊びには親が口うるさく介入してきません。自由に考え工夫できるから、遊びは掛け値なく楽しいのですね。

 だいぶ前のことですが、私が学習塾で低学年の指導部門の責任者をしていたとき、現場の担当者から「おかあさんに家庭で勉強づけにされて疲れているのか、授業中にボンヤリしたり、居眠りをしたりする男の子がいます」という相談を受けたことがあります。そこで早速その子のおかあさんと面談をすることにしました。その際、私は「まだお子さんは低学年ですから、勉強は楽しいんだ、という気持ちをもたせる必要があります」と申し上げました。しかしながら、すぐさま「先生、勉強というのは、辛さに耐えて、歯を食いしばってやるものです。そうやっているうちに、面白味もわかってくるんです!」と、私の助言は即座に否定されてしまいました。

 確かにそういう考えも一概に否定できません。しかしながら、それは勉強の下地ができ、勉強から得られる手応えや楽しさをある程度わかっている子どもに当てはまることです。そのおかあさんのお子さんは、ただただ勉強を嫌がるばかりであり、授業でみんなが楽しそうに勉強に取り組んでいるときにも蚊帳の外の存在でした。

 彼は、家庭教師をつけられ、毎日の勉強メニューも大人に厳しく管理され、がんじがらめにされていました。彼の頭のなかは、おそらく「自由に遊びたい」という願望が渦巻いていたことでしょう(彼のおかあさんは、中学受験の見通しがいよいよ絶望的だとわかってきた6年生の秋ごろ、「私は間違っていました」と、おっしゃったそうです。)

 では、どうやったら子どもに勉強の面白味を味わわせ、「勉強って、いいものだ」という実感をもたせることができるでしょうか。まずは、お子さんへの関わりかた全般を振り返ってみてください。日常生活において、何でも親から指示を出したり、命令したりする傾向がありませんか?もしもあったなら、そこから変えていく必要がありそうですね。子どもが積極的に何かを知りたいと考え、それを行動に移す過程で得られる楽しさや、知りたいことがわかったときの充実感を経験させるようがんばってみてください。

 たとえば、次のような働きかけをしてみてはいかがでしょうか。働きかける話題は、勉強に直接関係のないことでも構いません。昆虫のことや自然の不思議、科学に関する話題など、何でも構いません。図鑑で調べたらわかりそうな事柄がよいかもしれませんね。

 こんなふうに、何か話題をおかあさんから出して、子どもに考えさせ、子どもの考えを言わせてから、一緒に調べて確かめる。そういうことを繰り返しながら、考えること、新しい知識を得ること(発見すること)の楽しさや喜びを味わう体験を子どもにさせるのです。低学年までのお子さんなら、おかあさんの働きかけに対してちゃんと反応してくれると思います。考えたり調べたりする主人公はあくまで子どもですが、そうした行動を引き出すにはおかあさんの上手な働きかけが必要です。こうした経験を繰り返しすることで、子どもは次第に自発的な調べ学習をするようになります。それが徐々に学習の自発性へと発展していけば、勉強に対するよいイメージが形成されていくことでしょう。

 他にもいろいろよい方法があるかもしれません。たとえば、ときどきおとうさんが、「一緒に算数の勉強をしてみよう」などともちかけてみてはどうでしょう。教えるのではなく、一緒に勉強するというスタイルで算数の話題をやりとりしながら、玉井式のテキストの解きかたについて考えを述べ合うのです。おとうさんがまじめになって答えの導きかたを教えるのではなく、考えを交換し、肝心なところを子どもに気づかせるようにするのです。そういう時間を共に過ごすことで、お子さんが「算数っておもしろいな!」と感じるようになれば、勉強の取り組みが確実に変わってくることでしょう。

 学ぶことに積極的な子どもに育てるためには、
1.興味や関心をもたせる
2.様々に考えを巡らせることの楽しさを味わわせる
3.「あっ、そうか。わかった!」という、発見の喜びを体験させる
4.親が1~3のプロセスを見守り、プラスのフィードバックを与える
 このプロセスを繰り返すことが大切です。これによって、子どもは自信を深め、さらには自らのもつ好奇心や探心をより一層大きなものにしていきます。

 親は、テストの得点や他者との比較でわが子を評価すべきではありません(無論、よければ大いにほめてやりたいですが、親がそればかり気にしていると思わせるのはよくありません)。それよりも、子どもが何かに興味をもち、自分で詳しく知ろうと行動すること、自分で疑問を解決しようと考えることを、親が何よりも喜び応援しているのだということを、言葉や態度で伝えることが重要です。中学受験が近づくほどにめきめきと頭角を現すのは、早くからテスト対策に追われた子どもではなく、自分でこつこつ調べて疑問を解決する姿勢を携えた子どもです。何しろ、そういう子どものほうが「知りたい」という欲求をはるかに強くもっているのですから、当然のことだと思います。

 勉強の真の目的は、勉強への取り組みのなかにあると言われます。つまり知ろうという探求心を発揮すること自体が勉強の目的なんですね。知りたいと思い、目の前の解決すべき対象について一心不乱に調べたり考えたりする。だからこそ、わかったときの喜びは何にも代えがたいものになるのです。

 お子さんが低学年のうちは、そういう勉強を通じて勉強のもつよさを味わわせてあげてください。そうすれば、やがて学年が上がってから難しい勉強に取り組むようになってからも、決して勉強を投げ出すようにはなりません。それどころか、お子さんは高度な内容の勉強を自らに課し、常に向上をめざして熱心に学ぶ姿勢を失わない人間に成長していくことでしょう。

H.S

2018.11.16

子どもの社会性を育むのは、
どんなおとうさん?


 わが国においては、子育てというと大概おかあさんの仕事のように思われています。本コラムは、子どもの家庭教育をメインテーマに掲げていますが、やはりどちらかというとおかあさんを意識して書いてきたように思います。そこで今回は、子どもの育ちにおとうさんがどんな影響を及ぼしているかを話題に取り上げてみようと思います。

 ある教育学者の著作に、おとうさんの日常の生活のありかたと、子どもの社会性の育ちにある程度相関関係があるといったような調査結果が紹介されていました。社会性という言葉は、人との関りかたや他者への向き合いかた、常識ある対人関係などを話題にするときしばしば用いられています。社会性のあるなしは、これからお子さんが社会生活を営むうえで重要な役割を果たすようになっていきます。そこにおとうさんの存在がどのような形で関与しているのでしょうか。筆者自身、ちょっと興味のあることでしたので、みなさんにもご紹介してみようと思った次第です。

 父親と子どものコミュニケーションについて、ある教育関連団体がアンケート調査を実施しました。アンケートは、子どもを対象に行われましたが、おとうさんとの関係をいくつかの質問によって調査し、その結果を分析したものです。すると、「おとうさんのタイプと、子どもの社会性の育ち」に一定の関連性が見出されました(質問の内容は割愛しています)。
 おとうさんの人物的な特徴は、次の4つにカテゴライズされています。

代表的なおとうさんのタイプ

 1~4のおとうさんの特徴について以下にまとめてみました。それをお読みいただいたうえで、まずはみなさんのご家庭のおとうさんはどのタイプに最も近いかを考えてみてください。ぴったり当てはまるものがなければ、比較的近いものをとりあえず選んでみてください。次に、「こういうおとうさんだと、子どもはどう育つのだろうか」ということも、合わせて考えてみてください

  1. 1のタイプ…何事につけ、親から子どもに一方的に命令するのではなく、何につけ子どもと話し合ったり相談しあったりして、家庭におけるよいパートナー関係を築く。
  2. 2のタイプ…生活の比重を仕事中心にするのではなく、自分の娯楽や趣味、スポーツなどの楽しみをもち、いつもはつらつと人生を謳歌している。
  3. 3のタイプ…仕事をほかの何よりも重視し、子育てはどちらかというとおかあさん任せにしがちである。家庭を顧みることが少なく、いつも仕事を優先している。
  4. 4のタイプ…何事においても父親である自分が決め、子どもの意見や希望には耳を貸さない。親の言うことに口答えを許さず、服従を強要する。

 どなたも真っ先に判断されたのではないかと思いますが、4つめのタイプは子どもの社会性を育てるタイプとは言えません。むしろ、子どもとのコミュニケーションを「不要のもの」と考えています。親子の上下関係を重視し、下の立場の者から自由に意見を言うことを許さない。そういうおとうさんのもとで育つと、おとうさんとの関りでコミュニケーション能力を育むことはできません。戦前に多かったと言われる、いわゆる家父長的、専制君主的な姿勢をもったおとうさんです。

 また3つめのタイプは、かつて高度成長期においておとうさんがたの多くが企業戦士として働いていた時代にたくさんみられたのですが、近年は社会・経済情勢の変化に伴い、この種のタイプのおとうさんは減ってきているかもしれません。何はさておいても仕事優先。結果として家庭を顧みない。このようなおとうさんも、家族との交流・接触の時間が少ないため、子どもの社会性を育むタイプとは言えません。

 残りの1と2のタイプは、子どもと関わる時間が十分にありそうです。ですから、社会性を育てるおとうさんのタイプだと考えてよさそうですね。では、子どもとのコミュニケーションがより取りやすいのはどちらでしょうか。1のタイプは何かにつけ、おとうさんが子どもを一人前の人間として扱い、子どもに関することは何でも話し合います。おそらく、毎日子どもとのやり取りが頻繁に行われるでしょう。いっぽうの2のタイプのおとうさんは、子どもを連れてレジャーなスポーツを楽しむこともあるでしょうが、自分だけの楽しみを優先することも多分にありそうですね。

 さて、アンケートに基づく結論はどうだったのでしょうか。子どもの社会性を育てるおとうさん像は、1→2→3→4という順になったそうです。

 前述のように、今回はある教育学者の著書で紹介されていたアンケートの結果をもとに書いています。この教育学者は、家父長的な4のタイプのおとうさんが一番下の順位になった結果を受け、次のようなことを書いておられました。

 かつて、そうした恐怖主義的な父親でも、子どもがそれなりに健全に育っていったことはあったとは思う。それは、ひとつには、法的にも父に権力が与えられていたという法的バックアップがあったからであり、もうひとつは、父親以外に多様な大人・子ども関係、あるいは子ども・子ども関係を築き得たからであった。社会性が育つきっかけがもっとたくさんあったのである。
 しかし、現代社会では、育児は地域の営みというよりは各家庭の個別的な営みと化しているし、実際には父親があまりに育児に参加せず、女性が専一的に担っていて、育児は明確に女性化している。また、父親の権力に法的なバックアップがあるわけでもない。社会の変化が速くて先が見えにくく、子どもには父親がモデルにならない。そうした社会的・文化的な文脈の変化があるため、恐怖主義的な対応を父親がとっても、子どもは父親を尊敬しないし、本当の権威も育たない。このことがデータではっきり出てきたのである。

 絶対的な権威に支えられた父親像が崩壊した今日においては、1のような子どもと積極的にコンタクトをとるようなおとうさんのほうが、親子関係が良好で、子どもの社会性も育ちやすいということのようです

 かつての社会においては、絶対君主的にふるまうおとうさんのもとでも子どもの社会性は育ったと言われます。それは、子どもが地域社会のなかで育てられるという一面があったからだと指摘されています。筆者の幼いころは、近所にどのようなおじさんおばさん、おじいさんおばあさんがいるかをよく掌握していましたし、またそのような人との交流が頻繁にありました、近所の幼なじみ集団での遊びも毎日のようにありました。そういった生活のなかで親子関係とは別の形で子どもの社会性は育っていたのでしょう。

  先ほどの教育学者の著述にあったように、「育児が地域の営みというよりは個別的な営みと化している」時代にあっては、父親は絶対的な権威者として君臨するよりも、よい生活パートナーとして子どもに寄り添い、子どもとのコミュニケーションを大切にすることが求められているのは間違いありません。おたくではどういう状態になっているでしょうか。

 今回の話題が、お子さんの望ましい成長という観点から家庭環境の現状を振り返るきっかけになれば幸いです。

H.S

2018.11.23

学習の習慣化こそ、
児童期前半の大目標


 児童期の前半は学校の勉強で困ることはなく、個々の学力差が比較されることもほとんどないため、保護者の方々も比較的のんびりとしておられるのではないかと思います。

 ただし、リテラシーの基盤づくりや、才能開発(例:算数・数学的なセンスを磨く)など、低学年の今のうちにこそやっておくべきこともあります。高学年になってから生じたかに見える学力差は、児童期前半の学びの内実が顕在化したものですから、学びの重要性は学年を問わず変わるものではありません。玉井式の講座もそれを踏まえているからこそ存在するのですが、お子さんの将来の大成を視野に入れると、「今、何を学んでおくか」ということ以外にも重要な事柄があります。今回は、その話題に取り上げてみようと思います。

 みなさんのお子さんは、勉強と遊びのけじめがつけられるようになっているでしょうか? やるべきことの優先順位をつけたり、時間の割り振りをしたりすることが、徐々にでもできるようになりつつあるでしょうか。また、「遊び→勉強」など、行動の切り替えが一人でできるようになってきたでしょうか? 低学年期までの子どもは、勉強の重要性を自分なりに受け止めていたとしても、目の前に楽しそうなものがあったり、好きなことの誘惑があったりすると、勉強よりもそちらのほうに気持ちが傾き、制御が利かなくなることが多いものです。

 私が小学生の学習指導をしていたときには、「勉強の時間になっても机に着きません。注意すると、いつも親子喧嘩になります」、「やるはずの時間が過ぎているのに、いつまでもゲームをやめません」など、勉強の実行力や勉強と遊びの切り替えに関する保護者からの相談がしばしばあったものです。

 人間は誰でも好まないことには腰が重くなります。「やらなきゃ」とは思っても、肝心の体が動いてくれません。それでも、大人はやらないとどんな事態を招くかを予想できますから、「そろそろやらなきゃ」と渋々腰を上げるのですが、小学生の子どもは先を見通して考える力が未熟なため、それができません。

 このように、目の前にあるやるべきこと(勉強や手伝いなど)を後回しにして、そのときの欲望(テレビやゲーム、友だちとの遊びなど)に負けてしまう癖がつくと、大人になってからも自分を適正にコントロールできない状態が続く恐れが多分にあるでしょう。このことが、子どもの人生の歩みに少なからぬ影響を及ぼすことは想像に難くありません。

 しかしながら、子どもが9歳前後までの年齢なら、この問題を上手に回避することができます。まだ人間として未完成であり、経験や指導によっていくらでも変わることが可能な成長途上にあるからです。

 では、やるべきことをちゃんと実行できる力や、遊びと勉強の切り替える分別は、どうやったら身につくのでしょうか。答えは明白。理屈で子どもを諭すのではなく、“習慣”のもつ力を利用すればよいのです。理屈なら、親は何十回、何百回となく教えているはずです。それでも効果がないのですから、もっと有効な方法を採り入れるべきでしょう。その決定打となるのが“習慣化”なのです。

 では、なぜ習慣化が有効なのかというと、考える前に体が勝手に動くようになるからです。いつも、夕方の5時から30分リビングで勉強する習慣を数カ月も続ければ、体が当たり前のように机に向かうようになります。好きな遊びは禁止しなくても、時間を決めるようにすれば、切り替えも利くようになります。習慣のよい点はほかにもあります。何かを一定時間毎日繰り返すことをしていると、しだいにそのもののもつ面白みにも気づくようになります。そうして、それをやることに意欲をもった人間に成長していきます。この流れがうまくいくと、お子さんはすばらしい成長を遂げることができます。

 ある教育社会学者は、習慣が意欲をもたらす事例として、「食習慣」と「食欲」の関係を取り上げて説明しておられます。その先生は西宮のご出身で、幼いころからイナゴの佃煮を食する習慣があったそうです。食べ慣れると、その食べ物のおいしさがわかるようになります。その先生もご多分に漏れず、イナゴの佃煮が大好物になったそうです。つまり、「食の習慣が食欲を生み出す」というわけです。これは、他のいろいろな行為にも当てはまります。たとえば、「学習の習慣づけが行われると、やがて勉強の面白味もわかるようになり、それがその人間の学習意欲を高めてくれるのだ」ということを前述の先生は述べておられました。

 これは、学習塾に通う子どもたちを見ていても納得できることです。はじめから勉強することに意欲満々の子どもなどほとんどいません。塾に通い、学習の手ほどきを受けることの繰り返しによって徐々に学習の習慣が根付いていきます。そうした過程で、勉強の面白さがわかるようになり、それが学習習慣を一層強化してくれるのです。このような好循環の流れができあがると、自然と塾でのテスト成績も上昇基調で安定してきます。そうして、ついにはやるべき勉強をやらないと自分が許せなくなるレベルに達していくのです。「意欲が高いからあんなに勉強ができるんだ」と思われがちな子どもも、初めから高い意欲に支えられた勉強をしてきたのではありません。

 このことを踏まえると、親がかりで勉強をとにかくやらせようとするのではなく、“いかに習慣づけるか”という視点からわが子にアプローチするほうが、長い目で見ると子どもの将来の大成につながるのだということがおわかりいただけるのではないでしょうか。

 そこで、お子さんの学習の習慣化を図るうえで必要なことをいくつか列挙してみましょう。

  1. 1.毎日の、家庭で勉強に取り組む時間帯を決めておきましょう。
  2. 2.家庭で何を勉強すればよいのかを、お子さんに具体的に伝えておきましょう。
  3. 3.子どもが自分でやれそうなことは「一人でやれるよね」と、少しずつ手を放していきましょう。
  4. 4.ちゃんと予定をやり遂げたら、大いにほめてやりましょう。
  5. 5.予定した勉強を早くやり終えても、次々と課題を与えるのは控えましょう。
  6. 6.読み聞かせや音読など、親子一緒の楽しい勉強も織り交ぜると、お子さんの意欲はより高まります。

 勉強の習慣が身についていないお子さんの場合、上記の1・2をまずは大切にしてください。徐々に家庭勉強に慣れてきたら、できるだけお子さんに自分で取り組む姿勢が根付くよう、少しずつ手を放していってください(最終的には一人でやれる人間にするのが目標ですから)。自分でやり遂げたなら大いにほめてやり、自分の力でやり遂げることにプライドをもった子どもになるようサポートしてあげてください。予定をやり遂げた子どもに「もっとやりなさい」と別の課題を与えるのは控えましょう。親の期待とは裏腹に、意欲をスポイルする恐れがあります。決めたことを、繰り返し毎日やり遂げればいいのです。

 こうして、毎日の勉強が当たり前のこととして根付くようおかあさんが導いていけば、やがてお子さんは確固たる「自学自習」の姿勢を携えた人間に成長していきます。学力は、日々の勉強の継続と積み重ねによって伸びていくものです。そのことは誰でも一定年齢になると理解するようになりますが、その割に実行できない人が多いものです。この状態から抜け出し、やるべきことを着実にやりこなしていける人間になるための最も効果的な方法が“習慣化”することなのですね。

 最後に、同じことを強調しておきます。学習の習慣づけを図るうえで最適な時期は児童期の前半です。まだお子さんが親の働きかけに素直に応じる年齢期こそ、生涯生かせる大切なものをわが子に植え付けるチャンスなのです。高学年になると親の影響力はずいぶんと弱まり、どんなに口を酸っぱくするほど注意しても子どもは耳を貸さなくなっていきます。「良い習慣を今のうちに!」を合言葉に、保護者の方々にはがんばっていただきたいと存じます。

H.S

2018.11.30

きく耳を育てる教育が
子どもを賢くする


 今回は、子どもの学習に密接な関わりをもつ「記憶」を話題に取り上げ、みなさんと共に考えてみようと思います。

 どれだけ記憶できるかは、勉強の成果を規定します。同じ勉強をしても、記憶力がよければ当然蓄えられる知識の量は多くなります。同じ授業を受けたはずなのに、同じくらい時間を割いて一生懸命勉強したのに、友人のほうが遥かに多くのことを覚えていて、テストでの成績もよい。それが悔しくて、「ああ、もっと記憶力がよかったら…」そんなことを思ったことはありませんか?

 ところで、記憶力というのは生まれつきの能力なのでしょうか。それとも後天的に獲得する能力なのでしょうか。私自身はどう思っていたかというと、かつてはどちらかと言うと生まれつきの能力だと思っていました。しかしながら、ある学者の著作を読んでいたときに、「家庭のしつけによって伸ばせる能力だ」と書かれていました。そのくだりをちょっとご紹介してみましょう。

 聡明というのは、ものごとの理解がよくて頭脳明晰なことをいうことばだが、文字を見ると、まず「聡」で、耳扁がついているのでもわかるが、耳の賢さである。「明」は目の賢さだが、耳のほうが先行している。
 勉強がよくできる子は、たいてい記憶がいい。記憶力は生まれつきではなく、後天的にのばされる能力である。同じきょうだいでも、記憶力に大きな差があることがあるのは、生まれてからの経験が異なるからである。記憶力をよくする方法ははっきりしているわけではないが、よくききとったこと、よくきき分けたことが記憶になりやすいのは自然である。うるさくしゃべって、人の話がきけない子は記憶したくても耳に入らないのだからしかたない。
 よくきく子ときけない子の違いは年齢とともに大きくなる。小学校へ入るくらいの年になれば、聴力の理解力はこどもによってかなり大きく違ってくる。

 上記文章では、子どものきく(漢字を当てるなら、「聞く」より「聴く」が適当でしょう)姿勢を鍛えることで記憶力を高めることができるとされています。また、子どもにきく耳をもたせるための教育は早いほどよく、小学校入学あたりから個人差が大きくなっていくのだと書かれています。これを書かれた先生は、学者として名高いだけでなく幼児教育の大家であり、お茶の水女子大学の附属幼稚園の園長もされていたかたですから、学問的にも実践論的にも十分信頼できる情報と受け止めてよいでしょう。おたくのお子さんは、おかあさんの言葉にしっかりと耳を傾けているでしょうか。記憶力のよい子どもにするには、まずもってきく耳を育てることが重要なんですね。

 前出の先生は、「こどもはみられるべし、きかれるべからず」というイギリスの諺(ことわざ)を紹介し、「これは、きく耳を育てるためのしつけである」と説明しておられます。この諺は、「こどもが人前に出たら、黙っていなさい、よけいな口をきいてはいけません」という意味です。「みられるべし」は、私たちにはわかりにくい表現ですが、「余計な口をきかず、だまって聞いていなさい」といった意味のようです。私たち日本人は、家族連れで会話をするときに、子どもを話題の主役にして褒め称え合ったりしがちですが、イギリスでは子どもはしゃしゃり出ずに、まずは大人の言うことに耳を傾けているよう促すという伝統があるのですね。日本では舌足らずの子どもが勝手に何かしゃべっても、大人は寛容の目で見てニコニコしながら相手をしますが、それが却ってきく耳を育てるチャンスを失わせているのかもしれません。また子どもも、大人の言うことをきくものだという観念をもたないまま育ってしまう恐れがあるのではないでしょうか。

 これまでの内容を踏まえ、「では、わが家ではどうしたらよいか」ということについて、一緒に考えてみましょう。子どもを連れた家族同士で会話をする機会はそうそう多くはないと思います。毎日の生活において、子どもの耳をよくするにはどうしたらよいかを考えてみましょう。すでに、妙案を思いつかれたかたもあるかもしれませんね。

 私からは、次の2つの案をご紹介しようと思います。

 まず1つ目ですが、親から話してきかせたと思っていても、子どもがしっかりきき届けているかどうかはわかりません。そこで、親が大切なことを話したときには、「今おかあさんは何と言ったかな? もう1回言ってみて」と、子どもに反芻させるのです。命令口調では子どもが身構えてしまいますし、子どもから自然と注意を集中してきく姿勢を身につけることにはなりません。優しく子どもに言いきかせ、注意してきく習慣を身につけさせるのです。

 2つ目ですが、おかあさんが家事をしていたとき、子どもが「ねえ、ねえ」と何か言いたげな素振りを見せたことはありませんか? そんなとき、忙しいおかあさんは「後で」と後回しにしがちです。さらには、そのまま忘れてしまうおかあさんもおられることでしょう。 こういうことが続くと、お子さんはおかあさんの対応の裏返しとして、「人の話はきかなくて構わないんだ」ということを学ぶと言われています。ですから、子どもの話は時間が許す限り真剣にきいてやることが必要(子どもの拙い話を我慢してきいてくれるのは、世界中でおかあさん一人です)ですし、もしも「後で」と言ったなら、本当に後できいてやることが大切です。このことは、先ほどのイギリスの格言と矛盾するわけではありません。家庭内のやり取りにおいては、子どもに理路整然とした話ができるようしけなければなりませんし、子どもの話をきく親の姿勢も子どものよい手本となるものです。

 私たち大人でも、人の話を注意深くきけない人間はたくさんいます。それはそそっかしい性格的な側面というよりも、人の話を傾聴する姿勢を育て損なったからではないでしょうか。よくきける人は記憶力も育つという話を冒頭でご紹介しましたが、この能力は家庭教育の賜物と言えるでしょう。

 「勉強のできる子にするには、何の勉強をさせたらよいか」という視点だけでなく、子どもの能力基盤を高めるための子育てという観点も大切にしていただきたいですね。きく姿勢は毎日の子育ての積み重ねで育つのだということを念頭に置き、今からがんばってみていただきたいと存じます。

H.S

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